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第59話 開けたことのない箱

Auteur: みだん
last update Date de publication: 2026-11-05 16:00:40

土曜日の朝、五人で物置に入りました。

うちの物置は、母屋の裏にあります。

祭りの道具をしまう場所なので、それなりに広いのですが、中は足の踏み場がありません。

提灯の箱、注連縄しめなわ用の藁、古い幟のぼり、木の台。

「おばあちゃん、いい?」

「好きにしな」

祖母は、縁側でお茶を飲んでいました。

「ただし、埃はちゃんと払っていくんだよ」

「はい」

「それと」

祖母は、湯呑みを置きました。

「奥の、油紙の箱には触るんじゃないよ」

四人が同時に私を見ました。

「どの箱ですか」

「いちばん奥の、黒い木箱さ」

祖母は、庭のほうを向いたまま言いました。

「あたしも、開けたことがない」

「……開けたこと、ないの?」

「ないよ。子どものころに、触るなって言われてね」

祖母は、少し笑いました。

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  • 分かれた彼が、全員私を溺愛してきます 〜私も彼ら全員を愛していますが、これはいけないことなのでしょうか〜   第59話 開けたことのない箱

    土曜日の朝、五人で物置に入りました。うちの物置は、母屋の裏にあります。祭りの道具をしまう場所なので、それなりに広いのですが、中は足の踏み場がありません。提灯の箱、注連縄用の藁、古い幟、木の台。「おばあちゃん、いい?」「好きにしな」祖母は、縁側でお茶を飲んでいました。「ただし、埃はちゃんと払っていくんだよ」「はい」「それと」祖母は、湯呑みを置きました。「奥の、油紙の箱には触るんじゃないよ」四人が同時に私を見ました。「どの箱ですか」「いちばん奥の、黒い木箱さ」祖母は、庭のほうを向いたまま言いました。「あたしも、開けたことがない」「……開けたこと、ないの?」「ないよ。子どものころに、触るなって言われてね」祖母は、少し笑いました。「誰に言われたんだか、もう覚えてないけどね」その言い方が、ひっかかりました。この人は、五十年前の祭りの段取りまで覚えている人です。覚えていないことのほうが珍しいのです。物置の中は、蒸していました。七月の午前中です。窓は小さいものが一つしかなくて、開けても風が入りません。四人は、それぞれのやり方で動きました。新太くんが、重い箱を片端から外へ運び出しました。幸也くんが、その中身を一つずつ確認して声に出しました。久遠くんが、それを紙に書き留めました。和樹くんは、私の横で、細かいものを拾っては埃を払っていました。三時間かかりました。誰も、途中で休もうと言いませんでした。幸也くんが一度だけ「暑い」と言って、それきりでした。出てきたものは、ほとんどが祭りの道具でした。幸也くんが古い狐の面をかぶって、新太くんに叩かれました。

  • 分かれた彼が、全員私を溺愛してきます 〜私も彼ら全員を愛していますが、これはいけないことなのでしょうか〜   第58話 もう一冊ある

    七月に入って、久遠くんが動きました。月曜日の放課後、資料室に五人が集められました。机の上には、ノートではなく、コピーの束が積んでありました。久遠くんの目の下に、また隈がありました。三月に一度、消えていたものです。「調べ直した」久遠くんは、いつもの調子でした。「三月に、俺は行き止まりだと言った。天保の火事で江戸以前の記録は焼けている。それは事実だ」コピーの束を、久遠くんは叩きました。「だが、焼けたのは結守神社の記録だけだ」「どういうこと?」幸也くんが聞きました。「近隣の社の記録が残っている」久遠くんは、地図を広げました。四方原市とその周辺です。赤い印が、いくつも打ってありました。「祭りというのは、一つの社だけでやるものじゃない。近隣の氏子が手伝いに来る。道具を貸し借りする。だから、よその社の帳面に、結守神社の祭りの記述が出てくる」久遠くんは、印の一つを指しました。「三つ隣の町の社に、江戸中期の帳面が残っていた」「どうやって見つけたんですか」「市の郷土資料館に、目録がある。四月から順に当たっていた」三か月です。この人は、三か月かけて一枚の紙に辿り着いたのです。私は、身を乗り出していました。「何が書いてあったんですか」「祭りの名前だ」久遠くんは、コピーを一枚抜き出しました。「享保の年号が入っている。ここに『縒火祭』とある」墨の文字が、かすれながらも読めました。「そして、これが天明の年号のものだ」もう一枚。「『結火祭』になっている」同じ祭りです。同じ町の、同じ社の、同じ祭りです。「変わったのは、その間だ」久遠くんは、二枚を並べました。「五、六十年ほどの幅がある。その間に、この町の祭りは名前を変えた」

  • 分かれた彼が、全員私を溺愛してきます 〜私も彼ら全員を愛していますが、これはいけないことなのでしょうか〜   第57話 付き合っていましたか

    六月の終わりに、大きいものが一つ、なくなりました。その日も、私はいつものように記憶を数えていました。新しいものから、古いものへ。五月の縁側。四月の教室。三月の話し合い。正月の初詣。十二月の手袋。文化祭の後夜祭。夏の川。八月の祭り。三年前の坂道。そこで、手が止まりました。坂道は、覚えています。学校の裏の、銀杏が落ちる坂です。夕方でした。告白されました。——あのさ、俺、澪のことが好きだ。言葉も、覚えています。右手の親指で人差し指の付け根を掻いていたことも覚えています。私は、はいと答えました。それから、三年間。三年間、何をしていたでしょうか。手を繋ぐまでに半年かかりました。初詣に行きました。映画を観ました。祭りに行きました。それだけです。いえ、それだけのはずがありません。思い出せるのは、その四つだけです。三年間で、四つです。いえ、それだけのはずがありません。三年です。千日以上あったはずです。千日分の、何かがあったはずなのです。出てきませんでした。布団の中で、私は一時間ほど探しました。探して、見つからないということが分かっただけでした。次の日、私は久遠くんに聞きました。資料室でした。ノートを広げているところに、私は座りました。「久遠くん」「ああ」「変なことを聞いてもいいですか」「いい」私は、一度息を吸いました。「私、本当に和樹くんと付き合っていたんでしょうか」久遠くんのペンが、止まりました。顔は上げませんで

  • 分かれた彼が、全員私を溺愛してきます 〜私も彼ら全員を愛していますが、これはいけないことなのでしょうか〜   第56話 積み上げたもの

    次の日、私は資料室に行きました。土曜日でした。誰もいないと思っていたのですが、四人とも来ていました。机の上に、全部が並べてありました。誰かが呼んだわけではありません。四人とも、私が来ると思っていたのだと思います。久遠くんのノートが四冊。幸也くんの録音を書き出した一覧表。新太くんのアルバム二冊。「座ってくれ」久遠くんが言いました。「昨日のことで、確認したいことがある」「はい」「今日、俺たち四人の顔を見て、見分けられるか」私は、四人を見ました。和樹くん。新太くん。幸也くん。久遠くん。「……見分けられます」「間違えそうになるか」「いえ」「そうか」久遠くんは、うなずきました。「昨日は、たまたま口が滑った可能性もある。だが、可能性が高いのは別のほうだ」この人は、こういうときに希望を先に置きません。置いてから潰すほうが残酷だと知っているからです。「増えたんだと思う」久遠くんは、静かに言いました。「君の中の偽物が、また一つ増えた。増えた分、押し出されたものがある。昨日出たのは、その一つだ」「……はい」「それで、聞きたいことがある」久遠くんは、机の上のノートに手を置きました。「これは、役に立っているか」私は、答えられませんでした。「正直に答えてくれ」「……役に立っています」「どう役に立っている」「これがあれば、忘れても大丈夫だと思えます」言いながら、自分でも気づいていました。私は、安心したかっただけなのです。久遠くんは、しばらく黙っていました。

  • 分かれた彼が、全員私を溺愛してきます 〜私も彼ら全員を愛していますが、これはいけないことなのでしょうか〜   第55話 名前を間違えた日

    六月に入りました。記録は、順調に積み上がっていました。久遠くんのノートは四冊目です。幸也くんの録音は九時間を超えました。新太くんの写真は百八十枚を印刷して、アルバムに整理していました。和樹くんは、木曜日ごとに私の話を聞いていました。積み上がるほど、私は安心していました。これだけあれば、大丈夫だと思っていたのです。ノートの厚みも、録音の時間も、写真の枚数も、全部が数字で増えていきます。増えているものを見ていると、減っているもののことを一時忘れられました。その日は、金曜日でした。五人で四組の教室にいました。雨が降っていて、外に出られなかったのを覚えています。誰かが飲み物を買ってくると言い出して、じゃんけんになりました。六月の教室は、雨の日に独特の匂いがします。上履きと、湿った制服と、埃の匂いです。その匂いのことを、私はまだ覚えています。私は、その様子を見ていました。新太くんが負けて、文句を言っていました。幸也くんが笑っていました。久遠くんは読んでいた本から顔を上げませんでした。和樹くんが、財布を出そうとしていました。「あ」私は、声をかけました。「お金なら、私が出します」「いいって」和樹くんが言いました。「じゃんけんで負けたやつが買いに行くだけだから」私は、うなずきました。そして、こう言いました。「新太くん、ありがとうございます」教室が、静かになりました。私は、最初、何が起きたのか分かりませんでした。四人が、私を見ていました。四人とも、同じ顔をしていました。「……澪ちゃん」幸也くんの声が、かすれていました。「今、誰に言った?」私は、答えられま

  • 分かれた彼が、全員私を溺愛してきます 〜私も彼ら全員を愛していますが、これはいけないことなのでしょうか〜   第54話 何も持っていない人

    一週間経っても、和樹くんは何もしませんでした。久遠くんのノートは三冊目に入っていました。幸也くんの録音は、合計で六時間を超えていました。新太くんの写真は百枚を過ぎて、印刷して整理しはじめていました。和樹くんだけが、手ぶらでした。最初に言ったのは、新太くんです。放課後の資料室でした。ノートを広げている久遠くんの横で、新太くんが写真を並べていて、幸也くんが録音の整理をしていて、和樹くんは窓際に立っていました。「和樹」「ん」「お前はどうするんだ」部屋が、静かになりました。「新太」「責めてるんじゃねえ。ただ、お前、何もしてねえだろ」和樹くんは、窓の外を見たままでした。「……何をすればいいのか、分かんないんだ」幸也くんが、助け船を出しました。「じゃあ、俺の録音手伝えば」「それ、幸也のだろ」「そうだけど」「久遠のノートも、新太の写真も、それぞれのだろ」和樹くんは、そこで初めてこちらを向きました。「俺のを作らないと、意味ないんだよな」その日の帰り道、私は和樹くんと二人になりました。誰かがそう仕向けたのだと思います。たぶん久遠くんです。川沿いの道を、和樹くんは私の歩幅に合わせて歩いていました。いつもどおりです。「和樹くん」「うん」「何か、考えてることありますか」和樹くんは、しばらく黙っていました。それから、こう言いました。「俺、澪と何もしてないんだよ」「え」「久遠は事実を書くだろ。日付とか、病院の名前とか。幸也は澪の声を録るだろ。新太は場所を撮る」和樹くんは、指を折るように言いました。「じゃあ俺は、何を残せばいい?」「それは」「考えたん

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